sadanblog

まだまだ現役で走れるライダーだったのに残念ですね。

バイク事故の場合、紙一重で生死が分かれてしまいます。最近は死に対する恐怖心は無くなりましたが、体力的に楽しめるライディングが出来なくなりました。でも、まだ諦めているわけではありません。

Sadan さんに降りる理由はないはずです。


Gravatar kohatchanさん
ほんとうにショッキングなニュースでした。
私世代にとっては日本のバイク文化をモノだけじゃなくて”人”としても世界に誇れるということを初めて体現してみせてくれたヒーローでもありました。

私も最近体力的な衰えをよく感じます。
いつまでいくつまで乗り続けられるかわかりませんが、乗り続けられることに感謝していきたいと改めて深く思います。


Gravatar  事故の確率で言えば、他のスポーツや趣味より、バイクは危険な範疇に入るのでしょう。
 極論を言えば、他のスポーツも絶対安全でもなく、結局何もしないが一番安全かもしれませんね。
 ただ僕の中では、”何もしない=生きてる価値を見出せない”という公式になっておりますので、それは生きる事を放棄した事と同様になります。
 僕がバイク降りるときは、バイクに対して情熱を注げなくなった時かもしれません。
 心身的な事情から敢えて乗らなかった時期もありましたが、情熱が失せてた訳ではありませんでした。
 乗り続けるのも自由だし、降りるのも自由
 自分の人生で、選択するのは自分
 例えその選択が間違って死に繫がっても、僕には悔いはありません。
 僕が思うに、TOPライダーまで上り詰めた彼に悔いは残ったでしょうか?
 もし残ってたとしたら、それはサーキット場で命を賭したかったのではないでしょうか?
 バイクに乗ったことを悔いてはいないと思います。
 僕の勝手な解釈で、不愉快に感じたらごめんなさい。


Gravatar ↑の書き込み僕です (^_^
Name消えてしまっておりました。
失礼しました m(__)m


Gravatar Zeroさん
そうですね、人生を生きる意味っていうのはときに”生命活動を維持する”という生物的な目的以上の価値に優先順位をおいちゃうことはよくよくみられることだと思います。
思想信条のために命を賭してなされることの多くはそうでしょうね。
人間っていうのは意味や物語がないと生きていけなくて、そういう解釈で言うとみんな「現実を生きていない」のかもしれません。
生きた時間と生きた意味や残したものは正比例ではないですし、たとえばロックスターなんかは早くに逝っちゃった人ほど永遠性を持ってイメージが固定されちゃうこともありますね。
しかしやっぱりノリックほどの人のこういう最期は、ご本人そのものよりも周りやこれからの日本のモーターサイクルに関わるすべての人にとってたいへんな悲しみと損失になったのだろうと思います。
そしてこの事故が、バイクに乗らない大多数の人たちにどういう感想や影響をもたらすのかといったこともとても気になったりもします。
未だに整理できそうにありません。


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