Letter from Yochomachi
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いや、そういうことではなく、平岡定太郎が「それから」の平岡のモデルとすれば(これは有力説)、「それから」の平岡の奥さんである三千代は、現実の平岡定太郎の奥様(即ち夏子)ということにならないかと考えたものです。余興ですが……。


Gravatar 今、思い出しました。漱石の一番弟子は、小宮豊隆でした。かれは、慶應の独文に来ましたが、多分講師であったと思います。東北大学の教授になったのは、そのあとでしょう。荷風とはかなりつき合いがあり、豊隆は「三田文学」に載った、荷風の最初の弟子、久保田万太郎の初作品を激賞し、万太郎をして文壇登場のキッカケをつくりました。そして、万太郎が荷風の文化勲章受章のため、大きな力を添えたのは、面白い人の縁ですね。


Gravatar 夏子が「それから」の三千代のモデルという話、知らなかったです。これは大変興味があります。荷風と漱石の間が、「冷笑」の朝日掲載について関係があったこと、荷風が慶応教授になったとき、漱石の一番弟子(名前をド忘れ)を独文の教授に招きたくて、漱石の助力を仰いだときの二回のみであることに、寂しい思いをしていました。もっと、何かの繋がりがあったと想像していたのです。
荷風が築地の寓居にいたころ、鴎外と漱石の手紙を屏風に貼り交ぜにしましたね。荷風は漱石を尊敬していたはずです。しかし、漱石の方からは、前記の荷風の依頼に対する手紙があるだけで、何の接触乃至は言及がないので不満でした。ぜひ「それから」と夏子のモデル問題を教えて下さい。


Gravatar ありがとうございました。「永井荷風伝」に確かに書いてありました。永井家の夏子が平岡定太郎の奥さんになっているのですね。とすると、夏子は「それから」の三千代のモデルということになる。代助が漱石とすると……たいへんなことになりましたよ。


Gravatar ああ、『永井荷風伝』でしたか。ありがとうございました。秋庭氏は何冊も書かれているので、どの本だったかな〜と、考えていました。荷風と三島はつながっているのですね〜、勉強しました。


Gravatar うろ覚えで書いたので、秋庭太郎の著作と言うだけで、出典を明らかにせず、申し訳ありませんでした。早速調べてみましたら、「永井荷風伝」でした。4~5ページに、幕末の軍艦奉行永井尚志との関係が詳細に書かれ(この部分は他の秋庭著作にも多々引用されている)、「その尚志の養嗣子大審院判事岩之丞尚忠とその配松平高子との間に生れた娘夏子が、樺太庁長官平岡定太郎に嫁し、その孫に平岡公威すなわち作家三島由紀夫があった。」と書かれています。
なお、一族に永井信濃守を称する大名が居て、その屋敷があったところが、現在信濃町となっています。そしてその信濃守が建立した寺があったそうですが、高速道路建設の時に取り壊されたということです。
なお、荷風の永井本家の寺は、三田功運寺といい、荷風の「断腸亭日乗」に登場しています。


Gravatar >三島は荷風と遠い親戚関係にあり

あれ〜、知らなかったです。秋庭太郎の本、読み返してみます。膨大なので、飛ばし読みしかしてませんでした。


Gravatar 書き忘れましたが、散人さんならとっくにご存じと思いますけれど、三島は荷風と遠い親戚関係にあり、三島自身それを意識していて、作品の中に荷風をモデル(の一部)にしたものがあったように記憶します。その親戚関係については、御存知、秋庭太郎の著作に克明に書かれています。一筆、蛇足まで。


Gravatar 散人さんの仰るように、三島由紀夫はまさにコンプレックスのかたまりでした。背も低く、痩せこけていて、如何にも非力な、顔だけ大きな不細工な少年のような男でした。今、手許にないので、書名を思い出しませんが、猪瀬直樹の書いた三島本の中に、必至に軽井沢での上流子弟の交際社会に入りこもうとしていた頃、私は彼に逢ったのです。川端康成のやっていた鎌倉文庫から出していた月刊誌「人間」に「煙草」という短編小説が発表された頃です。いわゆる文壇に登場した最初と言えるでしょう。「煙草」には一向感心しませんでしたが、「仮面の告白」には、私たちは騒然としました。そのころ、大蔵省を辞めたのでしたね。彼の短い一生は、偉大な作り物といった印象です。警句のうまさは天下一品で、彼の作品は、それらの意表をつく警句めいたフレーズで輝いて見えたものでしょうね。作品はすべて余りに作り物めいて、イヤミだけです。


Gravatar 三島は、我々日本人の例にもれずコンプレックスのかたまりだったことが、逆に我々の心を打つのかも知れません。


Gravatar 三島由紀夫とは、会って話をしたことも、著書にサインをして貰ったこともあります。字は、決して上手いものではなく、いかにも男らしく見えるように、一所懸命気を使って書いていました。
話し方も、笑い方もすべてわざとらしく、可笑しかった記憶があります。
そう言う彼が、その文学生活の初期には、後には大変嫌っていた「肺病やみの」堀辰雄に影響されていたことは、これまた可笑しい話です。
初期の作品には、その堀とか、レイモン・ラディゲの影響が強く見られるのではないでしょうか。


Gravatar 小生の字は、まさしく幼稚園的な下手くそな字なので、とてもお見せできるものではありませぬ。

むかしの幼稚園の卒業寄せ書きをたまたま取り出してみる機会がありましたが、あの時に小生が書いた字と今の字はまったく同じものなので、愕然としました。


Gravatar 山中湖の三島由紀夫館をだいぶ前に訪れました。
生原稿の字が、小説内容以上にきれいな書きっぷりだったのが印象に残っている。
編集者泣かせの石原何某とは雲泥の差。
相当頭のいい、神経質な、格好つけの、私みたいな男だったと!
(余丁町散人さんの直筆を展示してみてください、占ってあげましょうか?)


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